2013年4月25日木曜日

まのまトーク①わたしたち、「ひきこもり」を社会問題として考えられているだろうか

私たちが出会う若者の中には、一見すると「自立(就労や社会参加)に向けた支援」を求めているのかな、と考え込んでしまう人がいる。
就労相談の場合は、窓口に訪れたらそれ自体が「就労したいです」という態度のあらわれともとれるが、
実は全員が情熱を持って「就労したいです」と言う訳でもない。
特に、社会から遠ざかってしまった若者は。。。

そんな時、支援者・支援機関側が時々発する「あなた(若者)が本気なら手助けしますよ」「あなたのやる気を応援」的なメッセージは、
ひきこもっていた若者たちにはあまり有効ではないように思う。
「やる気」の「対価」に支援を提供するという流れは、自己責任論と紙一重だ。
「やる気」とは個人の内面に帰結しがちで、社会に「やる気」をそがれてしまったことを覆い隠してしまう。
つまり、

就労できていない→「やる気」が足りない→個人の責任

という図式で、
「就労できていない」の前にある社会から遠ざかり続けていた要因を、個人に責任転嫁してしまう怖さがある。
身近にひきこもっている人がいない場合、そういった思考になるのは何となく想像がつく。
しかし、多くの若者は「社会」との兼ね合いで難しさを感じ、ひきこもっている。

社会参加できていない若者がいる、ということは「社会問題」なのだ。
個人に責任を追求すると、若者やその家族を追い込む。
それをやってしまうと、「支援者」としては本末転倒だ。
しかも、実はもう既に就労自立支援に関してはかなり莫大な国の予算がついている。
国としても、「若者の就労自立は、個人の責任です」と今さら言える状況ではない。
個別の支援場面においては、「やる気」にフォーカスするやり方もあるのかもしれない。
実際、「モチベーションづくり・維持」なしには支援できない。
ただ、そこを見誤ると「やる気がないから支援がうまくいかない」と支援者も若者に責任を追求してしまうおそれがある。
それは、再び若者たちを支援者が傷つけることになりかねない。
今、急速に拡大している若者自立支援の業界は、人手不足だ。
支援のクオリティ維持は喫緊の課題だ。

若者の社会参加を「社会問題」として語る時には、「やる気」という言葉はほとんど意味をなさない。
支援者が若者の自立を「社会問題」としてとらえられているのか、今後、問われるのかもしれない。(つじた りさ / officeドーナツトーク事務局長)





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