2013年5月8日水曜日

まのまトーク②こども・若者に投資しない社会~魔法のコトバ「自己責任」~


NEETとは、ご存じのとおり「Not Education,Employment or Training」の略である。
「教育」や「雇用」、「訓練」のカテゴリーにも属さない存在の若者を指す。
この概念の輸入元であるイギリスでは、本来は10代後半の若者と定義されている。
おそらく、経済的・社会的・情勢的に、10代後半の課題を抱えた若者をいったんカテゴライズし、そこに集中的に「投資」をしなければならない、という危機感のあらわれだと思われる。

日本では「ニート」と言えば、20代も含まれ、今では30代でも「ニート」状態と呼ばれるようになっている。
別にこれを否定するつもりはないが、このことによって、本来イギリスで持たれていた「危機感」のようなものが、日本に輸入され再定義されたことによって薄まっているのではないかと、最近感じている。
それは、既存の就労支援では、Employmentへのカウンセリングとマッチングが中心であり、無意識に問題が若者へ焦点化されていることと結びついている。
要するに、若者の問題は社会(仕組み)ではなく「個人の問題」だ、という前回の記事とも関連していて、若者を「育む」という視点が弱く、相談すれば何とかなるだろうというこの問題への楽観的な態度が見え隠れする。

本来、若者とは育てなければならない存在である。
育てるのには時間とお金がかかる。
誰を、いつ、どのように育てるのか、というとても難しい問題もある。
さらに、Education,Training→Employment の流れがもっと円滑にできそうな気がするのだが、まさに縦割り行政に阻まれている。

そういえば、職業訓練校というものが全国に存在するが、「失業保険受給資格者」が対象で、入るためには試験もあるし、そもそも「若者」を育てるという観点は薄い(高校中退者や大学中退者、もしくは卒業後は「失業者」ではない)。
ドイツなどには民間団体が職業訓練校を作り、自治体から補助を受けている。
実際に職業訓練校を1つ見学したが、レストランや美容院、造園やマスコミ機材など、
本物が用意され、かなり「投資」されている。
日本で若者が職業訓練を受けるとしたら、高校の専門科や高専、専門学校等に行くことになる。
でも、お金はかかるし、農業科や工業科、商業科は(若者自身が)なんだかいやだ、とか、
専門学校は高校を卒業していないと、とか色々出てくる。

日本社会というのは、自分の子供には投資するが、「こども・若者」全般にはなぜかお金を出し渋る。
保育や非行、養護そして不登校の分野は常に経済的な課題を抱えている。
そこに投資すること、その意味を頭ではわかっていても行動に移せないのは、なぜなんだろう。
それが分かれば、これらの分野の課題の半分くらい解決してしまうかもしれない。
おそらく、「寄付」という文化が欧米とは違うことが影響しているのだろうとは思う。
投資にはいくつかの財源があって、行政から、個人から、企業からなどがメインだろう。
それらがどのように判断し、どのようにお金がめぐっているのか、
そこにはその国の「態度」みたいなものが顕著に現れるような気がして仕方がない。
そして、「自己責任」という魔法のコトバ。
その言葉で当事者たちは言葉を失うか、失望する。
「自己責任」というコトバは、発した側は何かを解決したような気になるのかもしれないが、
状態はひとつもよくならないどころか、後退する。


嘆いても状況は変わらないので、話を少し戻す。
最近、大学中退や大学を卒業しても進路が決まらない若者がフューチャーされている。
私が関心があるのは高校中退後や、卒業後の進路未定の若者だが、実は前者と後者は同じようでまったく性質の違う問題だ。

前者は「ひきこもり」と親和性が高そうなイメージだが、後者は「貧困」と親和性が高い。
大学中退と高校中退は、別の問題だろう。
どちらにも支援=投資が必要だが、高校中退への支援はまだまだこれからだ。
ただ、アプローチとしては、もう少し「職業訓練」というものを考えてみてもいいのではないだろうか、と考える。
「職業訓練」のためには「職業選択」というステップが必要だが、
それは若者が「職業訓練」受ける、という仕組みを考えてからにしよう。

次回は、そのための少し新しい仕組みを実験的に考えてみる。


つじた

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